仕事中スマホに実家からの着信が。折り返すと、「電話なんかしてないよ?」。そんな電話を、私は52歳の秋に受けました。
人の心身を30年支えてきたのに、いざ自分の親のこととなると、頭が真っ白になったのを今でも覚えています。親のことより、まずシフトの心配をしてしまった自分。あの後ろめたさは、しばらく消えませんでした。
親の介護が始まったとき、看護師が最初に感じるのは悲しみではなく「職場に迷惑をかける」という恐怖です。
9月は敬老の日があり、夏に帰省して親の変化に気づいた方も多い時期です。「なんとなく気になっている」今こそが、実は一番動きやすいタイミングなのです。
看護師だからこそ、親の介護でつまずく
意外に思われるかもしれませんが、私の周りで介護離職に追い込まれたのは、腕のいいベテラン看護師ばかりでした。
理由ははっきりしています。看護師は「できてしまう」からです。
オムツ交換も、吸引も、褥瘡のケアも、服薬管理も、私たちは職場で毎日やっています。だから親の介護が始まっても、他職種を呼ばずに全部自分でやってしまう。そして家族も、周囲も、それを当然だと思ってしまう。
「あなたは看護師なんだから大丈夫よね」——この一言に、どれだけの看護師が押しつぶされてきたことでしょう。同じことが子育てにもありましたがーーーー。
専門職としての技術は、自分の家族に対しては「助けを呼ばない口実」にすり替わります。
職場では当たり前にやっている「多職種連携」を、なぜか自分の家庭では組まない。ここが、看護師の介護がこじれる最大の構造です。
看護師が介護で追い詰められる3つの原因
原因1:制度を「患者さんのもの」だと思い込んでいる
私たちは退院支援の場面で、患者さんのご家族に介護保険の申請を説明します。ケアマネジャーを紹介し、地域包括支援センターの連絡先を渡します。
ところが自分の親のこととなると、その回路が働かない。「うちはまだそこまでじゃない」「要介護認定がおりるほどではない」と、自分でハードルを上げてしまうのです。
私自身も、父が要支援1と認定されたとき「この程度で申請してよかったのだろうか」と思いました。とんでもない誤解でした。それが転倒の再発を防いだのです。
原因2:シフト勤務と介護のタイミングが噛み合わない
ケアマネジャーとの担当者会議は平日の日中。役所の窓口も平日の日中。銀行も、病院の主治医面談も、すべて平日の日中です。
夜勤明けでフラフラの頭で会議に出て、大事な説明を聞き逃す。日勤の合間に役所に電話しようとして、休憩時間が終わる。この「時間の噛み合わなさ」が、じわじわと消耗を生みます。
介護で先に折れるのは体力ではなく、段取りを考え続ける脳の余白です。
原因3:職場に言い出せず、限界まで一人で抱える
「人手が足りないのに、これ以上休めない」——看護師なら誰もが持つ感覚です。
でも思い出してほしいのです。私たちは、患者さんが痛みを我慢しているときに「もっと早く言ってください」と声をかける仕事をしています。それなのに自分は、限界の一歩手前まで黙っている。
実際、介護を理由に仕事を辞める人は年間およそ10万人。そのうち約8割が女性です。多くは「もう無理」となってから初めて相談し、選択肢がない状態で退職を決めています。
辞めずに続けるための「制度」の使い方
介護休業は「介護をするため」ではなく「体制を作るため」の休み
ここが最も誤解されているところです。
介護休業は、対象家族1人につき通算93日まで、最大3回に分けて取得できます。休業中は原則として賃金の67%が介護休業給付金として支給されます(上限あり、申請先はハローワーク)。
93日と聞くと「3か月で介護が終わるわけない」と思いますよね。私もそう思いました。でもこの制度の設計思想は、自分が介護の担い手になるための休みではなく、介護保険サービスにつなぎ、支える体制を組み立てるための休みなのです。
だからこそ「3回に分けられる」ことが重要です。診断・入院のとき、退院して在宅を整えるとき、看取りの時期。この3つの節目に短く使うのが、現実に即した使い方です。
介護休暇は「時間単位」で使える
介護休業とは別に、介護休暇があります。対象家族が1人なら年5日、2人以上なら年10日。2025年4月の法改正で取得要件が緩和され、時間単位での取得もしやすくなりました。
ケアマネとの30分の面談、役所への1時間の手続き。まる1日休まなくていい、というのは想像以上に大きな違いです。
「介護に直面した」と伝えれば、勤務先には説明義務がある
2025年4月の改正で、労働者から介護に直面した旨の申し出があった場合、事業主は両立支援制度を個別に周知し、取得意向を確認することが義務になりました。
つまり、あなたが「親の介護が始まりそうです」と伝えれば、職場は制度を説明しなければならない立場です。遠慮して黙っているほうが、むしろ制度の趣旨から外れています。
制度は、限界を迎えた人ではなく、これから備える人のために設計されています。
今日からできる7つの備え
「まだ元気だから」と思っているうちにやっておくことが、いざというときのあなたを守ります。
この中で、今日中にできるものが1つあります。2番の「実家の住所地の地域包括支援センターを調べて、電話番号をスマホに登録する」です。所要時間は5分。市区町村名と「地域包括支援センター」で検索すれば出てきます。
6番の「まだ何も起きていない段階で師長に伝える」も、勇気がいりますが効果が絶大です。「実はうちの母が最近少し弱ってきていて、いずれ相談させてもらうかもしれません」——この一言があるだけで、いざというときのシフト調整の速さがまったく違います。
自分の消耗を、後回しにしないために
介護は、始まりの日はわかっても、終わりの日がわかりません。だからマラソンより厄介です。ペース配分の目安がないまま走り続けることになります。
メンタルヘルスの視点から言うと、介護者が最も危ういのは「怒りが出てきたとき」ではなく、何も感じなくなったときです。親の言動にイラッとするうちはまだ健康。感情が平坦になり、義務としてこなすだけになったら、それは消耗のサインです。
私の場合、実家へ向かう車の中で、好きだった音楽を「うるさい」と感じたときがそれでした。
対策は難しいことではありません。1日15分、介護のことも仕事のことも考えない時間を、意図的に確保することです。私は帰り道のコンビニの駐車場で、缶コーヒーを飲む15分をそれに充てていました。
通勤時間や夜勤前の空き時間を使うなら、瞑想アプリのような「勝手に時間を区切ってくれる」道具に頼るのも一つの選択肢です。自分で切り上げようとすると、つい介護の段取りを考え始めてしまいますから。
また、遠距離介護で実家との往復が増える方は、移動中の体の負担が意外と効いてきます。運転前に肩を回す、休憩ごとにふくらはぎを伸ばす。その程度で十分ですから、体をこわばらせたまま運転を続けないでください。
それでも「今の職場では無理」と感じたら
制度を調べ、家族と話し、それでも今の勤務形態では続けられないという結論に至ることもあります。それは敗北ではありません。
日勤のみのクリニック、外来、施設、訪問看護。介護と両立しやすい職場は確実に存在します。ただし、探すのは「限界を迎えてから」では遅い。求人を眺めるだけなら、今日からできます。
看護師専門の転職サイトは登録だけなら無料で、非公開求人の勤務条件を見るだけでも「こういう働き方があるのか」という選択肢が増えます。すぐに動かなくても、逃げ道の地図を持っているだけで気持ちがずいぶん楽になるものです。

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まとめ
親の介護は、看護師にとって「専門性が武器にならない唯一の看護」かもしれません。技術があるからこそ抱え込み、制度を知っているからこそ自分には使わない。その罠に、私自身がはまりました。
けれど、あのとき地域包括支援センターに電話をかけた日から、確実に景色は変わりました。ケアマネジャーができて、デイサービスが決まって、私は「娘」に戻ることができたのです。
親の前でだけは、看護師である前に、あなたはひとりの子どもでいていいのです。
今日できることは、5分の検索ひとつで構いません。母の住む町の地域包括支援センターの番号を、スマートフォンに登録する。それだけで、未来のあなたの選択肢は一つ増えます。
30年間、たくさんの家族の介護の始まりに立ち会ってきました。そして自分の番も経験しました。だから断言できます。備えた人から、仕事も親も手放さずに済んでいます。
あなたのキャリアを応援します。

