ICUで勤務した後、看護師10年目の定例人事異動で、希望していなかった精神科病棟へ配属されました。
学生の頃から精神科は「難しい」「自分には向いていない」というイメージが強く、正直、一番行きたくない病棟でした。
だから、「そのうち異動になるだろう」と思いながら働いていました。
今振り返っても、最初の1年間はあまり良い思い出がありません。
精神科看護のおもしろさも、やりがいも、まったく分かっていませんでした。
そんな頃、一人の患者さんとの出会いがありました。
10代後半の女性で、自傷行為を繰り返していました。
治療の影響もあり眠気が強く、食事も一人では座っていられず、日常生活の多くに介助が必要な状態でした。
精神科看護をほとんど理解していなかった私は、
「この治療は何を目指しているんだろう。」
「この子にとって、どんな意味があるんだろう。」
そんな疑問を抱えながら関わっていました。
ある日、入浴介助をしていた時のことです。
ほんの少し目を離した瞬間、その子が床に倒れました。
「え?今、転ぶような場面だった?」
そんな驚きと同時に、「インシデントレポートを書かなければ」という考えが頭をよぎりました。
幸い、打撲などの外傷はなく、医師へ報告した後、更衣を手伝いながら何気なく尋ねました。
「今、なんで転んだの?」
すると、その子はこう言いました。
「先生が来るんでしょ?診てもらえるよね。」
その時は、「そういうこともあるのかな」と、どこか引っかかりを感じながらも、そのまま出来事を終えました。
数日後、ナースコールで病室へ行くと、
「目にリップクリームを塗るから貸して。」
と言います。
もちろん、本当に目に塗りたいわけではありません。
「先生を呼んで。」
その一言で、ふと思いました。
「もしかして、先生に会いたくて、自分を傷つけようとしているのかな?」
そう尋ねると、小さくうなずきました。
私は驚きました。
そして、こう聞いてみました。
「先生のこと、好きなのかな?」
少し間を置いて、またうなずきました。
私は思わず笑いながら言いました。
「だったら、自分を傷つけなくてもいいじゃない。
好きって気持ちは、傷つくことで伝えるものじゃないよ。」
後日、主治医にも本人の思いを共有しました。
失恋も経験しました。
それでも、少しずつ友人との関係や家族とのつながりが戻り、新しい興味や楽しみが増えていく中で、自傷行為は徐々に減っていきました。
もちろん、それだけが理由だったとは言えません。
でも私は、この経験を通して大切なことを学びました。
10代という時期は、本来であれば学校生活や部活動、友人との交流、恋愛などを通して社会性を育んでいく時期です。
長期入院によって、そうした経験が限られていた彼女にとって、身近にいた若い医師へ特別な感情を抱くことは、ごく自然なことだったのではないか。
そう考えられるようになりました。
症状だけを見るのではなく、その人の発達段階や心理社会的背景を見る。
その視点を持つことで、関わり方は大きく変わる。
そして、その関わりが回復につながることもある。
「あれ? 看護って、人をこんなふうに元気にできるんだ。」
そう気づいた瞬間、私の中で何かのスイッチが入りました。
そこから夢中で精神科看護を学び始めました。
中井久夫は、
「治療できない患者はいても、看護できない患者はいない」
という言葉を残しています。
この言葉に出会った時、「本当にその通りだ」と心から思いました。
この患者さんとの出会いが、私に精神科看護の面白さを教えてくれました。
そして、「精神科看護は特別な看護ではなく、『看護』そのものなのだ」と感じるようになりました。
もう20年以上前の出来事です。
彼女は今、一人暮らしをしながら社会とつながりを持って生活しています。
年賀状やハガキのやり取りは、今も続いています。
私はずっと応援してきたつもりでした。
でも振り返ると、応援され、育てられていたのは私のほうだったのかもしれません。
これからも、お互いの人生を静かに応援し合えたらいいなと思っています。
